『おみおくりの作法』観賞後のこと。


 映画が斜陽な産業になったと言われて久しいが、それでも映画を映画館で観たいという人たちはいる。そのようなお客さまに会う度に、映画の完成とは撮影現場ではなく、大きなスクリーンを観た観客まで届いたときが完成ではないかと、しみじみと感じる。

 だが、お客さまについては何も知らないことばかり。それは、映画館で働く者と、映画を観に来られただけの関係だからだ。当たり前といえばそれまでなのだが…。しかし、奇妙な関係ではないだろうか。映画チケットの購入時や、上映後のおしゃべりで、その方の人となりを想像をしてしまう。なぜかと言えば、人生のなかでの2時間ほどの上映に集い共に時間を消費して、映画に何かを求めて来られたからである。

 映画について、クシシュトフ・キェシロフスキ監督は、「他人の人生を覗き見する行為」と雑誌インタビューを読んだことがある。覗き見に来る観客を、また覗き見ているのが自分の仕事なのかも知れない。

 

 さて、ある日のこと。チケットカウンターにて、映画観賞を終えた男性が、『おみおくりの作法』のパンフレットを購入しようとしていた。その方は目の前で嗚咽を漏らして号泣をした…。その声には聞き覚えがあった。以前に電話を受けた際に受話器の向こうでした声色であった。上映時間について問い合わせをいただいた人だ。「映画料金よりも高い電車賃をかけて劇場まで行く」、自分は障碍者であると付け加えて話してもいた。その時は、「ありがとうございます」ただただそれしかなかった。その男性が今、目の前にいる。不思議と近しい感情を覚えてしまう。また、上映時間の前から、長い時間を待って劇場フロアのベンチに座っていた姿も思い出した。チケットカウンターでパンフレットを購入した後は、それを手にしてベンチに座りながら号泣していた。このように感情を露わにした観客は稀であって、たった1人かも知れない。それでもこのようなお客さまと出会った自分は、この出来事を忘れないようにしようと思う。

「映画」とって幸せであるとは何だろう。また、「幸せな人」とはどんな人なのだろう。映画を観に来くれたお客さまを劇場に迎え入れ、観賞後に劇場ドアを開けて送り出し(おみおくり)をする。これからも心して尽くしていきたいと真摯に思う。また、何よりこのような観客がいることを、今作を製作したウンベルト・パゾリーニ監督や、配給元であるビターズ・エンドの皆さんに賛辞と共に伝わればいいな。そして、号泣した彼も私も、そして誰もがジョン・メイであることを、いつまでも記憶に留めておきたい。