でま子のキネマ探訪その⑤「役者はつらいよ」

 1114日に、ハリウッドの殿堂である「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」に、『七人の侍』などで知られる俳優の三船敏郎の名前が刻まれました。この快挙はゴジラに次ぐ世界的な名声入りの証。2017年で没後20年になるのを前に、「世界のミフネ」ファンには嬉しい話題となりました。しかし、それほどの活躍をした三船敏郎でさえも、70年代の映画俳優としての仕事は厳しい時代であったようです。

 今回は、「70年代傑作邦画特集」の中から、俳優のこぼれ話をご紹介いたします。1968年に日本映画の興行成績は、過去最高の観客動員数を達成しますが、その後、70年代に入ると斜陽の道を歩みます。テレビが広く行き渡る一方で、社会も変動期をむかえます。1970年の「日本万国博覧会」を皮切りに、1973年には「オイルショック」、翌年には「日本赤軍ハーグ事件」、さらに「べトナム戦争終結」など、劇的な時代を迎えました。このような世相にさらされた観客たちは、映画に魅力を感じなくなりました。

 

 映画業界は、ダメージを受け、映画製作会社は衰退し、映画会社の専属の監督や俳優たちは、独立プロへの移行を余儀なくされます。


 1975年に東宝製作の『青春の門』を監督した浦山桐郎は、もともと日活専属の監督。経営不振の日活退社後に演出したのが今作です。現場を取り仕切る監督ではありましたが、東宝の技術スタッフからは、よそ者扱いで作り辛い環境だったと言います。出演を果たした吉永小百合は、「清純派女優」というイメージを一新すべく、『キューポラのある街』の恩師でもある浦山監督とタッグで大人の女優への脱皮に挑んだのです。

  同年の東映製作の『新幹線大爆破』に主演を決めた高倉健。役柄は会社経営で負債を抱え負け組へと落ちてしまったテロリストを熱演します。しかし、東映の首脳陣は、当初の主演依頼は、『仁義なき戦い』で人気絶頂の菅原文太を指名。任侠物から実録物へと観客のニーズが移行したことに伴い、高倉健は、東映のメイン俳優ではなかったのです。この映画を最後に高倉健は東映を退社。先に独立していた石原裕次郎や三船敏郎、勝新太郎のように個人で俳優の道を模索します。

 実は冒頭の三船敏郎も、『新幹線大爆破』とは因縁があります。この作品に出演した数名の俳優は、三船プロ所属から団体で挙って脱退の反旗をひるがえして出演を果たしたのです。その方たちは現在もご存命で活躍されているので名前はふせておきます。いつの時代も新しい変化を求める観客に、演じる俳優たちの本音は、「役者はつらいよ…」なのかも知れませんね。

 

 

キネマ旬報シアターにて、「70年代傑作邦画特集」

2016年12月31日〜2月10日上映予定。

1974年『伊豆の踊子』出演:山口百恵、三浦友和

    『竜馬暗殺』出演:原田芳雄、石橋蓮司、桃井かおり

1975年『青春の門 筑豊篇』出演:仲代達矢、吉永小百合、小林旭

    『新幹線大爆破』出演:高倉健、宇津井健、千葉真一、丹波哲郎、田中健

 

1977年『青春の門 自立篇』出演:田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ